1985 新米グラフィックデザイナーの道具
グラフィックデザイナーの道具
多摩美術大学のグラフィックデザイン科を卒業して、最初に就職したのは東京アドデザイナースという広告プロダクションでした。プロダクションとしては、かなり人数も多く、20代30代が多い会社でした。唯一の女性ディレクターだった春田チームに配属され、デスクをもらい、仕事道具を一式受け取りました。
今なら、おそらく自分専用のマックを与えられ、そこにイラステレーター、フォトショップ、インデザイン、そしてフォントも、いっさいがっさ実装された状態で仕事が始まると思います。しかし、当時、マックのマの字もなく、デザインは全てが手作業だったので道具もアナログなものでした。ひとつひとつ思い出してみます。
- 書体見本帳(写研)
- 色見本帳
- 級数表/歯送表
- カッター
- ピンセット
- 三角定規
- 50センチ定規
- カッティングマット
- ハサミ
- セロテープ
- ペーパーセメント
- スプレー糊
- ソルベックス
- シンナーディスペンサー
- ロットリング
- ダーマトグラフ
マックがあたり前の世代には、聞きなれない道具がたくさんありますよね。
文字は、写植オペレータに依頼するので、書体見本帳で書体を選び、級数表と歯送表と言う下敷きのようなシートを使って、行間や間字の指示をしていました。
入稿用の原稿は、版下を作り、トレペ(トレーシングペーパー)をかけ、その上に、写真の位置の指示をしたり、文字の色を色見本帳を確認しながら、Y30+M10+C50のように赤ペンで指示していました。
デザインするときに、よく手に握っていたのはピンセットとカッターかな。
原寸を100%だとすると、90%、95%、105%、110%とか微妙にサイズを変えた文字や写真をピンセットに挟み、空間を眺めながら、しっくりする位置を探していました。その仕草をすると、同世代のデザイナーだとばれます。深夜残業して、電車のつり革につかまっていたら、肘に、文字がくっついていたなんていうのはよくありました。
マックはデザインの黒船だった。
手が覚えたデザインの感覚は、今でも宝だと思っています。だからと言って、マック以降のデザインがやなわけではありません。黒船と言ったらオーバーかもしれませんが、デザインの世界に新しい波が来たと思いました。まだ見ないデザインの表現欲求も生まれたし、マックひとつあればとりあえずこと足りて、あとは、腕に覚えがあれば独立できたしそういう仲間も多かった。変化は怖くもあるけど、チャンスと思えば楽しい。